2014年3月3日月曜日

エレクトリック・マイルスを聴く前に

 エレクトリック・マイルスについて考えるより先に、カンバック後について、お話しする必要がありますね。
 カンバック後のアルバムはFMなりライブ番組で少し聴いていました。そこで感じたのは、奏者としての凄みというか音が全然違うかなっと。カバー曲などは、とても丁寧でオリジナルへのリスペクトが感じ取れるところが何とも言えない響きとなって伝わってくるところが違うと思わせるところです。この頃は、まだジャズ・ミュージシャンとして、1968~1975年までのエレクトリック時代を全然知りませんでした。あまり、メディアでも取り上げることがなく、どちらかといえばカムバック後の作品にスポットをあてたものがほとんどだったと思います。
 いまになっては噂話レベルしか残っていないようで、1975年の活動休止までに、どんなことがあったのか想像の域をでないかな。すでに30年以上が過ぎ去った今では、真相に触れることは無理そうな気がします。せめてエレクトリック時代のものを聴きながら、あれこれと想像をめぐらせるぐらいでしょうか。
 エレクトリックと言うとジョー・ザビヌルが思い出されますが、ウェザー・リポートと絡ませてみても興味深い何かが出てくるかもっと思っています。
 サウンド的にはリズム・セッションに注力したものでいうと、アップテンポのものは、トランペットなり管楽器はのりにくいという課題があります。音をぶつける感じのアタックは、聴き手として、あまり好まないのでエレクトリック時代のものでも選んで聴かないといけないことにはなると思いますが、これから一つ一つ機会を設けて聴いていこうと思っています。

エレクトリック・マイルス(その3)

 2000年に入ってからマイルス生誕80周年記念番組かなマスコミで取り上げられていたのを機会に「オン・ザ・コーナー」(1972)を聴いたことで、エレクトリック・マイルスへの関心が高まったことで、ネットで視聴してみると、そこには未知のサウンドがあったところまで話を進めたと思います。
 すでに、マイルス・デイビスの人間像について、多く語られる様になり、その音楽よりも人間マイルス・デイビスに関心が強いという個人的な事実があります。なぜなら日本公演の音源をまとめた「アガルタ」をいま聴くと、なぜ売れなかったのか少し疑問に思ったからです。アルバムによっては、ヘビーなところもありますが、決して売れないサウンドではなかったように思いますが、当時のアメリカで、どのような評価が流れていたのかが気になるところですね。ファンク色が気になるところではありますけど。

帝王マイルスのご乱心!? エレクトリック・マイルス時代を考える

 コアなファンが多いことで知られる帝王マイルスについて、恐縮ながら考えてみたと思います。世は1970年ごろ、すでにエレクトリック・マイルスのサウンドというものが出来上がっていたと思われますが、「オン・ザ・コーナー」を聴くにリズム・セッションの煮詰め方にしてもプレイヤーがなかなかうまく噛み合わないと言う問題に直面したのではないかと想像しています。情報なんかをみてみると、マイルスの門下生チック・コリアが「リターン・トゥー・フォーエバー」にて、目新しい回答らしきサウンドを出したということや、ハービー・ハンコックなどが受けの良いリズム・セッションを展開することで、師匠を出し抜いた的市場状況になったりはしますが、これからという1975年にマイルスは活動停止します。ここら辺は調べていないので、はっきりしませんが、活動停止の理由が気になるところです。セールスの不振というものがマイルス本人に重くのしかかっていたのではないかっとも想像できますが、巷では黒人がよくなる骨盤の病気の治療というのが一つに伝わってはいますが真相が商業ベース(利益優先)の情報が多く、真実には、程遠い資料が多いようです。

帝王マイルスのご乱心!?エレクトリック・マイルス(その2)

 マイルス復帰第一弾「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」をFMのジャズ系番組で聴いたのが筆者の帝王マイルスとの関係の始まりですが、その時MCのジャズ評論家が「このアルバムがどれだけ影響力があるかどうか疑問です」みたいなことを口にしたので、よほど期待されていたんだなっとのん気に構えてはいました。
 すでに帝王マイルス不在が5年以上、活動休止以前がセールス不振とあっては影も薄くなろうというもので、筆者にとも、今ひとつピンッと来ませんでした。こともあろうか復帰後のマイルスをエレクトリック・マイルスと勘違いしたまま数十年が過ぎてしまったのです。FMラジオでかかるのは、「ビッチェズ・ブリュー」ぐらいで、エレクトリック・マイルスはファンク色が強くて、スルーされているかのようです。
 「オン・ザ・コーナー」を聴いて以来、エレクトリック・マイルスへの関心が高まり、少し聴いてみようということでアルバムをネットで視聴してみると、いままで聴いたことのないサウンドがそこにはあって、今から考えると、このサウンドは帝王マイルスのものとして、手つかずな状態のままだったのかもっとも思えた。復帰後のマイルスは、分厚いリズム・セッションをあっさりと捨て、簡略化でもしたかのようなものになっていますが、いかにもマイルスらしいといった感じでしょうか。

フュージョンバンドの代表スタッフにみるクロス・オーバーの終焉

 1970年代半ばにピークを迎えるクロスオーバー(フュージョン)。筆者は、1980年代になってから、フュージョンの代表的なバンドであるスタッフを聴いていた。セッション(スタジオ)・ミュージシャンをゴードン・エドワーズが束ねたバンド。曲を聴いていてみると屈託のないサウンドになっていて、なんとなく楽想はシンプルなものが多い。1970年代後半のN.Yを拠点にしたバンドで、当時としては、音楽界に対してもメッセージがあったのではないかという印象も受けてしまうのは筆者の考えすぎだろうか。いま聴けるといったらリチャード・ティーがフューチャーされたものぐらいかな。逆にティーンでも楽しめるような作りになっているかも。
 このバンド、ドラムとギターがツィンで、管楽器が入っていないというリズム・セッション・バンドで、特にリチャード・ティーがメインというわけではない。ここいら辺も意味深である。1970年代の半ばでも、エリック・ゲイル、スティーブ・ガット、リチャード・ティーは売れっ子になっていて、参加したセションは数知れない状況になっている。正直スタッフのサウンドは巧みではあるが時代遅れというか古き良きサウンドが滲み出ている再構成されたものであることは、それまでのジャズ系ものを聴いてきたものなら、わかるところだろう。フュージョンとしても、少しロックを入れすぎているところなんかは、ゴードン・エドワーズの先見の明があったバンドだったと言えるかも知れない。

2014年3月1日土曜日

映画音楽

 映画音楽というのは、映像に寄り添った音楽で、わかりやすいというところが受け入れやすい。たいていオーケストラで演奏され、個性を必要としない。こういう音楽は鑑賞するにも向いている。映画には、あまり熱心とはいえないが、そこが音楽だけを楽しめるという利点もある。
 NHK映画音楽大全集(1982)というLPを手入れた。人気映画の集計から、映画音楽全集を作ったというもので、演奏はフィルム・スタジオ・オーケストラで、指揮はジャック・ディメロ。イージー・リスニングの様になっていて雰囲気を楽しめるものだ。筆者は、「第三の男」が好きなので、これが入っていれば良い。
 本来なら、映画が好きで、そのサントラ盤を楽しむということなのだろうが、ただ音楽を楽しむ場合でも、説明しやすいところではある。